よもぎの発表がほぼない。

全日本鍼灸学会で感じた、静かな違和感
本記事は、5月末に岡山で開かれた全日本鍼灸学会の参加記です。専門家が集う場でさえ、お灸とよもぎの声は驚くほど少なかったんです。
今回は参加してみて感じたことについてまとめていきます。
専門家ばかりの会場で、私が探していたもの
5月30日と31日、岡山で全日本鍼灸学会が開かれました。鍼灸の最前線が、全国から集まる場です。
私は鍼灸師であり、よもぎを扱う者として、鍼灸の話をきちんと聞いておきたい。その思いで足を運びました。
会場には、たくさんの発表が並んでいました。鍼の技術、効果の検証、最新の研究。熱気がありました。みなさん、自分の専門を発表する場です。
でも、私が今回一番聞きたかったのは、お灸の話でした。そして、よもぎの話。
お灸の話は、思っていたよりずっと少なかった
聞いて回って、気づいたことがあります。
お灸の発表が、圧倒的に少ないんです。
鍼灸、という言葉は「鍼」と「灸」で一つのはずなのに、会場の中心にあったのは、多くは鍼の話でした。お灸は、小さく、静かに語られている。そんな印象でした。
そして、よもぎ。
もぐさの原料であり、お灸の主役であるはずのよもぎの話は、もっと少ない。というより、ほとんど見当たりませんでした。
これは責める話ではありません。研究の流れや、データの取りやすさ。きっといろんな事情があるのだと思います。
ただ、一人の参加者として、こう感じてしまったのです。
よもぎやお灸の話が、こんなにも少ないのか、と。
火は、もともと暮らしの真ん中にあった
ここで少し、立ち止まって考えました。
お灸は、よもぎから作られるもぐさを、肌の上で燃やす。じんわりとした温かさで、体を整えていく。古くから、日本の暮らしにあったものです。
おばあちゃんが背中に据えていた。
そんな記憶を持つ方も、いるかもしれません。
火は、もともと暮らしの真ん中にありました。
お灸を「したことがある」という人さえ、ずいぶん減ったように思います。
よもぎに至っては、草餅の色や香りとして知られていても、それが体を温めるお灸に使われる”モグサ”になることを、知らない人のほうが多いのではないでしょうか。
知られていないことは、悪いことばかりじゃない
ここで、よもぎを扱う私が、つい忘れそうになることがあります。
それは、「知られていない」というのは、裏を返せば「まだ広がる余白がある」ということだ、という事実です。
すでに誰もが知っているものなら、私たちのような小さな存在に、できることは多くありません。けれど、よもぎはまだ余白だらけです。
お灸の良さも、よもぎの力も、学術的にも報告を行い、一般家庭でも養生として扱われてほしいと
学会の帰り道、私はそう考え直していました。
急がず、少しずつ、輪を広げる
とはいえ、一気に大きくしようとは思っていません。
養生という言葉が好きです。急いで治すのではなく、日々をすこしずつ整えていく。その時間の流れが、よもぎにもお灸にも、よく似合います。
だから私の目標も、急がず、少しずつ。
よもぎが今どんな状況にあるのかを知ってもらう。お灸の温かさや良さを、暮らしの言葉で伝えていく。学会のような専門の場ではなく、生活の中のすぐ手の届くところから。
私たちが作っているよもぎの化粧水やバーム(長野県諏訪市・標高850mのよもぎが原料です)も、その入口の一つです。
火を据えるのは少しハードルが高くても、肌に触れるよもぎから始める。
それも、立派な養生のはじまりだと思っています。
火を、絶やさないために
学会で感じた違和感は、裏返せば、私の役割をはっきりさせてくれました。
声が小さいなら、暮らしの側から、もう少しだけ大きくする。
それだけのことです。
この記事を読んでくださったあなたが、「よもぎって、そういうものだったんだ」と少しでも感じてくれたなら、嬉しいです。
無理にお灸を始めなくて大丈夫です。
まずは、知ってくれるだけでいい。
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